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Project-Moa@hatena-works

Project-Moaはいつでも改造中💛

或る老人 自ら死地を決める

nursing journal

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その老人は息子が成人してから30年もの間離れて暮らしていた。そもそも、親との同居がうまくいかない理由がここにある。高度経済成長期以降の核家族化は親子間の空白の時間を作ってしまっている。もちろん、盆暮れ正月には子は帰省するのだろうけれども、その短い間、親は良い親でいようとし、子は良い子でいようとする。短期的にパフォマンスを上げた付き合いを互いに数十年続けるわけだから、双方に同居することになっても、さほど大きな問題はないと考えてしまう。ところが、その破綻というものは数ヶ月でだいたい訪れる。同居し始めた頃はお互いに気を使いながら、気遣いながらうまくやっているように見えてストレスを溜め込んでいる。どちらかが耐え切れなくなったとき、問題は堰を切ったように家庭内に不穏をもたらす。同居とはそんなもの。我が家でも同じ問題を抱えている。

さて、その老人はある日突然、自らの足で(移動は親族の力を借りて)有料老人ホームと入居の契約を交わしてきた。本人の言い分はこうだ。

「あの家にいたらね、私が動けなくなった時に何をされるか分からないんだよ。まだ、頭がしっかりしているうちに、、、自分の身は自分で守らなくては。」

曰く、同居し始めた頃はそれなりに幸せに過ごさせて頂いたけれども、一緒に住んでいるうちに腐った性根が見えてきたという。言葉も乱雑になり、親を親とも思わない物言いをする、ついに嫁もそれに加担してきたと。ある意味、こうして(ショートステイで)離れる時間ができるとほっとするのだそうだ。そこで、自分でまだ自分の財産を管理できるうちに有料老人ホームに入って、もしも本当に介護が必要になったとしても(本人は要支援)家で放置や、虐待されないようにしようと考えたようだ。

家族はと言えば、半ば呆れてしまいながらも、この結末には満足をしている様子で、

「最初は良かったんですけれどね、一緒に住み始めてからというもの、“こんな人だったのか”って気持ちが強くなってきて、こう、私達の家に入ったのに、その家の主のような大きな顔はされるし、チクチクといまさら“嫁”であることの自覚みたいなものを言われるし、主人は主人で還暦過ぎても子供扱い、自分で有料老人ホームに契約に行ったのは驚きましたし、当初は怒りもこみ上げてきましたけど、結局、これで良かったのかなって。」

などと言っている。

双方の過ちは、30年も別の人生を歩んでいて一緒に住んでいた頃と互いに同じであろうはずがない、という単純なコトに気づかなかったコト。たまに会う時間がとても互いに大事なものだから、多少問題があったとしても目をつぶったり、理解を示してみたりする、それが故に互いに相手の人格に過剰な期待をしてしまったというコト。

結局、昔々のように“家”という強固な制度があって、家督相続という形で家と親が一緒についてくる時代、長男はそのまま家に残り、嫁を家に入れて死ぬまで一緒に過ごしていくという時代なら、空白もなく、その家の道理に従ってさえいれば、多少の葛藤は抱えながらも大きな問題はなかったことだろう。今の時代において、親との再同居というのは新しい病のようなものなのかもしれない。

 

「ただね、残り少ない人生だから安心して暮らしたかったのだけれども、あの有料老人ホームというところはここと同じで貴金属やお金を手元に置かせないんだね。自分の足で自分の身ぐるみを剥ぎにいくというのも滑稽な話ですな。」

 

利用最後の夜、その老人はそう言って悲しそうに苦笑いをしていたのを覚えている。

ただ一つ言えることは、有料老人ホームにしろ、グループホームにしろ、特別養護老人ホームにしろ、その入居はほとんど本人の意思を汲んだものではなく、家族の都合である。そんな中、不本意なものであったとしても、自分でそれを選択することができたというのは、とてもとても大きなものだと私は思う。そう思いたい。

結局、ブログは一つの方が良いと感じた今日この頃

blog management

WordPressも再開してみたものの、特段、書くべき記事もなく、要するに日記になってしまっている。私のかけるコトと言えば、介護職的な記事、活動記録、写真くらいのもので、それ以上のコンテンツはない(笑)故に、デザインがオシャレなだけで同じようなブログを作ってしまうのなら、一つの方が良かろうと言う結果に至りました。

そんなかんなで、昨日はWordPressで書いたいくつかしかない記事をはてなブログへインポート。WordPressの方は何か本当に別立てで書きたいものが見つかったら再開しようかなって思います。

 

或る老人 親の心子知らずで子に憎まれ続けた親

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f:id:alice_cube:20160830214045j:plain 長らく独居で生活していた老人がいた。夏になると短期入所の依頼が来るものの頑として利用を本人が拒絶する為に実現しなかった案件だが、今年になってついにそれが実現した。認知症がやや進んだ上に脳梗塞となり倒れ、本人にそれを拒絶する力がなくなった為だ。

カンファレンスの日、目の前には人の良さそうな弱々しい老人と恰幅の良い子、その妻がいた。たしかに独居では難しそうな老人ではあるけれども、自立度は高く、そこまで認知症も進んでいないコトから同居してさえいれば在宅でも続けることができると私は見立てた。しかし、子夫妻の希望は本入所、本入所ができないのであれば、できるだけ長く短期入所を、本入所が叶わないのであれば本入所先が決まるまで老健への入所を進めたいとのことだった。どこでもいいから預けて、とかく家に入れるつもりはないと。

親がいなくなった後、恰幅の良いその子はこう切り出した。 「私はねこの父のせいで自分の人生を選択できなかったのです。厳しく雁字搦めにされて自由がなかった。今でもそれを恨んでいます。姉が一人いますが、そちらは放任といいますか、、、姉に言わせてみれば、父は私には一生懸命だったけれども、姉は見放されていたと、私はそれが羨ましかったのですが、姉弟仲もそれで悪くなりました。これもすべて父のせいなんです。」 どんな葛藤があったのかは本人にしか分からないことだけれども、還暦を過ぎたおじさん、しかも肩書は校長先生が、なんと身勝手な理屈を並べ立てることか。少なくともその立派な肩書は父親のおかげでもあろうと私は思う。話の節々から感じるに、こんな親は捨ててしまいたいけれども世間体というものがある。まして自分は教育者、分かって下さいますよね?と言わんばかりだ。

カンファレンスが終わり、とりあえず預かることとなった。

その老人が来た日、本人に息子のコトを聞いてみた。老人は言う。 「あれはね、昔からできの良い子で少し厳しくも躾けましたがよく育ってくれた。あたしの自慢です。今では立派な先生ですよ。」 あの時代を生きた老人は我が強く、頑固で、自分の子を自分の思うレールに乗せたがる人間が多かったのかもしれない。もちろんそこには、世間体や見栄というものが全くなかったとは言えないけれども、それでもその本質は子の将来を思ってのことだと思う。自慢の子に捨てられたこの親は、子育ての過程で何を間違えたのだろうか?

或る老人 子に本当に捨てられてしまったその先

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f:id:alice_cube:20160830214045j:plain その老人はもともとショートステイで長らく利用している。特段、この数年、身体状態も認知症の具合も変わりはない。あるとするなら、少し気難しくなった、、、それだけ。ある日死んでしまうまでうちを利用しつつ家にいるのだろうと思っていた。本人もそう思っていたことだろう。

ある日のコト、その家族から、どこでもいいから本入所をさせたいという話を聞かされた。 旦那が浮気して、他の女性のところに逃げていってしまった。仕事も捨てて行方もわからない。そんな旦那の親を面倒見るなんて、、、そこまで優しくなれない。いつか虐待してしまいそうだと。

確かに、数十年連れ添った旦那に裏切られたその怒りをぶつける場所はどこにもない。いるとするのなら、それを世に産み落としたその老人だけ。血を分けたそのどことなく漂う面影は、認知症老人特有の理解不能な言動に合わさって、憤りを無限に増幅させるに違いない。 こうしてその憐れな老人は、自分の子の過ちが為に、自分がある日まで支えてきた家に居場所を失ってしまった。

そして、その老人は、、、自分が何故この罰のような環境に身を置かされているのか、未だ知らない。