Project-Moa@hatena-works

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Project-Moaはいつでも改造中💛

或る老人 未だ発達段階にあり

nursing journal

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その老人は未だ発達段階にある。介護度はついてはいるものの認知症でもなく、また身体的な欠陥があるわけでもない。その老人には知的障害があった。それが年を経て老人になり、障害が介護度という尺度に入れ替わったと言うわけだ。その老人には老いた姉がいる。姉にも介護度がついている。そしてその姉の生活を立場が逆転し知的障害を持つ妹が支えている。支えるものがあるという自負は彼女を老年期にあって発達を促す原動力となっている。老いて尚、彼女は学習を続けている。もしかしたら、老年期にある今の方が若い頃よりもずっと刺激的で魅力のある世界なのかもしれない。今であってもその扱いはどうかと思う部分もあるが、昔々の白痴、痴愚、魯鈍・軽愚などと呼ばれていた時代には、そういった人々をどう扱うかはその家庭の事情に任せている部分が多く、それを恥部としてひた隠し外へ出さないといった家も多かったことだろう。故に彼女は介護保険下、デイサービスやショートステイを利用している今の方が昔とくらべて外界に触れる機会が多くなっていいるのでは?と感じる部分がある。彼女は職員を見て学習している。他者(困った利用者)への話し方や接し方、この小さな世界での良いコト悪いコト、自分でできるコト、できないコト、自分の担える役割についてなど様々だ。家で庇護される立場から庇護する立場の一端を担うようになってからと言うものヒトの世話を焼くことが彼女の生きる(活きる)モチベーションとなっている。それはとても微笑ましく、また、応援したくなる。ただ、彼女の興味・関心は尽きることなく、時折、職員の目を盗んで学習した身体介助を実践しようとすることがある。唯一、それが彼女を扱うにあたっての悩みの種になっている。

 

キミは歯切れの悪い西洋風の『君が代』を知っているかい?

art,music,movies&books

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日本に国歌が生まれたのはつい最近のコト、1869年にそもそも国歌がなかったのでルクった方が良いよ~と言われて、歌詞は薩摩琵琶歌にあった『君が代』をとりあえずで選んで、駐留していた英国公使館護衛隊歩兵大隊・軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンさんに作ってもらったのが始まり。それは、こんな歌でした。

 


国歌「君が代」=旧バージョン(明治3年:1870)=動画13万HIT記念

 

作ってもらった歌は1870(明治3)年9月8日、東京越中島での天皇閲兵の時に、西謙蔵の指揮により薩摩藩軍楽隊の演奏で初演されたってことだけれども、かっこ悪い~と悪評高く、その10年後、宮内省楽長の林広守さんたちがフェントンの曲を改訂する形で作曲。それが認められて今のバージョンになったんだって。

そんな『君が代』が国歌らしきとなったのは、そこから約30年後の1914年(大正3年)に施行された「海軍禮式令」で海軍が国歌のように扱ったからなのだけれども、法律としてそれが国歌として定められていないから実はずっと宙に浮いた存在としてそれはあって、本当の意味で国歌と制定されたのは1999年(平成11年)、「国旗及び国歌に関する法律」が出来上がってから。つまりのところ、日本の国歌は本当の意味で誕生してから20年も経っていないということのようです。

というワケで、成人の日も迎えていない、思春期真っ只中の我が国の国歌をどうぞ!

 


日本国国歌「君が代(Kimigayo)」+α

 

 

 

 

第17回高齢者福祉シンポジウム 『地域連携を考えよう どうしてる?ご近"助"付き合い』を聴いてきました。

study

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研修メモ

私の施設って地域から取り残されている感が半端ないので、ポスターで知ったこのシンポジウムに参加。施設関係者、一般と分かれていたけれども、恥ずかしいので『一般』の枠でお邪魔しちゃいました。とりあえず、メモ残し。

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地域と社会福祉法人の関係

社会福祉法人とは

日本国憲法では結社の自由が認められている。結社とは“人”と“人”との繋がりを言う。その集合が社会となる。

第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
    2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

日本国憲法

結社の自由に基づいて組織されるものには、財団法人、社団法人、NPO法人、政治団体などがあるが、NPO法人、政治団体は特定の目的を持つ人の集まりに対して法的な人格を付与するものである。社会福祉法人は財団法人の一形態である。

社会福祉法人は戦前に財団法人、社団法人として運営していた事業(主に慈善事業)に対して、戦後の新憲法(第89条)において“公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業”に対し公金を支出することを禁止したことから、その受け皿として新たに社会福祉事業法において国の関与する公益的法人としてそれを制度化したものである。社会福祉法人は“地域社会の福祉ニーズ”に対応する為に善意の中に設立されたその事業を支える仕組みとして生まれた法人と言える。

法的人格とは何か?

権利義務の帰属する人格。権利主体となりうる資格という観点からみると権利能力と同義。自然人と法人は法人格を有する。ここでは自然人以外の権利主体を言う。

現在の法人制度でそのような実体の基礎とされるのが人の集団(社団)または財産(財団)である。

法人とは何かについて解説 - 民法まとめ

法的な人格を持つ社会福祉法人の地域での役割

ヒトと同じくしてその権利を有するのであれば、その地域にあって、町内会、地域イベント、地域の清掃活動へ参加ないし協力することは不自然なコトではない。例えば、その地域の有力者(ある一定のポジションにある人間)であれば、ほぼ義務的にそれに参加している側面がある。活動にはコストがかかるものの、それはヒトであっても法人であっても地域での活動の前提となる負担であるとも言える。

その上で、その地域での必要や課題を発掘しいかにして公益事業に結びつけていくかが社会福祉法人に求められる役割なのではなかろうか?

 

パネルディスカッション

町内会会長、民生委員代表者、福祉施設代表者、社会福祉協議会代表者、大学院生により行われたが、実質的な議論までには時間の関係で至らず、個々の取り組みや問題の情報共有にとどまる。

町内会

地域によるが、パネラーの属する町内会は2人に1人が高齢者であって、高齢者の一人暮らし(独居)、介護問題、世代間の隔たりにより近隣関係が疎遠になりそれぞれの孤立化が問題となっている。また、町内会の果たすべき役割に対し、若い世代の担い手がおらず役員が高齢化し機能不全に陥っているという構造的な問題も抱えている。そのような中にあっても行政や福祉では対応できない(制度の穴)案件に対して町内会として助け合いグループを組織し活動する中でそれを事業化する動きをしている。その流れの中で町内会の役割も“街づくり”への参加へシフトして来ている。地域連携と言う面では、社会福祉法人等にはお祭りや地域の防災訓練に積極的な参加、地域で行われる研修やセミナーへの講師の派遣などで協力を願いたいと考えており、また、町内会としては町内の同好会やサークルを活かしてそうした施設へ慰問派遣を実施するなどして連携を進めていきたいと考えている次第である。

民生委員

サークル活動、旅行の企画など町内の行事の企画を通してヒトとヒトをつなげる、顔見知りを作るためのコーディネートを行っている。それは相互理解の架け橋となるべく活動である。また、地域施設と連携してお弁当の宅配事業を通しても住民と関わっている。施設利用者にとっては、金銭的、人的負担の面で施設の外に出て地域に参加するコトに気後れしてしまうケースがある。そういったヒトに対してどうコーディネートしていくかは課題である。

福祉施設代表者

地域に信頼される施設作りを理念に掲げ、職員とそれを共有している。
具体的な地域連携の活動

  • 町内会の役員会への出席。
  • 町内会行事への参加・協力。
  • 町内会旅行への参加。
  • 交通安全の見守りへの職員派遣。
  • 町内会の敬老行事に対する施設開放。
  • 近隣公園のお掃除ボランティアへの参加。
  • 施設広報の配布。(町内会の記事を掲載することもある。)
  • 地域の防災訓練への参加、訓練時の炊き出しの協力。
  • バザーへの参加。(施設のお年寄りが作った手芸品を販売。)
  • 地域教育(ボランティア参加、職業体験など)への協力。
  • 介護相談への職員の派遣。

地域へ施設をディスクローズしていくこと、地域の課題を発掘していくことでその関係をいっそう強めていきたいと考えている。

大学院生

いち施設職員(介護職員)のレベルで地域連携に関して考えるのは難しい。ただ、地域連携は“個”と“個”のつながりがベース。高齢者施設が地域と繋がりを持てない現状は30年前とあまり変わっていない。そのハードルは施設が“すべてを施設の職員でまかなおうとする傾向がある”ことが問題で、施設の地域の資源であれば、そこに住むヒトも資源。そういった人的な資源を活用すれば(借りることができるのなら)、もっと施設利用の高齢者も地域に出ていけるのではなかろうか?と思っている。

社会福祉協議会代表者

社会福祉協議会は、多方面(当時者、当事者団体、ときには経済団体etc)と関わりながら地域福祉を推進(住みやすい地域を作る、街づくり)していく団体。地域に顔の見える関係を作り、また、そのすべての資源を利用して対象者がその住み慣れた地域で暮らしていけるように支援していく。ひとりの負担では必ず限界が来るが、皆(資源)が少しずつ力を出し合ってそれは実現すると考える。

 

施設発表

以下、発表資料を転載。 

 

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3つの施設で施設の取り組みを発表していました。

発表①は“ライフサポート事業”に関しての取り組み。大阪で始まったものらしいです。いわゆる、制度の穴で苦しむ生活困窮者を救うのがお仕事。どうやら、この施設はそれが『部署』として成立しておらず、本業と兼任している様子で、その影響で本人の本業の方に支障が出ているのが課題のようだ。思うに、福祉とはそのヒトの生活を守るコトで、本業に支障が出るというコトは自分の目の前にいる利用者の生活が脅かされているということだ。素晴らしい取り組みであるものの何やら本末転倒のような印象を受けた。

発表②は教育実践研修センターなるものを設立して法人内外の人材育成、研修はもちろんのコト、サロンで認知症予防教室を開いたり、そのノウハウで講師も派遣していますよという取り組み。こちらは上手に回っているようだ。資金をうまく地域に還元していることが評価できそう。

発表③は“伴侶動物福祉”への取り組み、ペット可のマンションならぬ、ペット可の施設を開設して成果出してますって取り組み。私はこの“伴侶動物”という表現が好きではないし、終始、発表を聴いていて、ペットを情操教育用のぬいぐるみ程度にしか考えていないのではないか?という印象を受けた。施設営業面でのインパクトはあるけれども、、、どうなんだろう。そもそも、私は高齢者が“寂しいから”ペットを飼うということ自体に憤りを感じているので、話の中に『ペットと心中を考えた老人』のエピソードが紹介されていたけれども、むしろ私的には、『最後まで飼ってあげられなくてごめん。私も死ぬから許して』と心中した方が責任の取り方としてよっぱど尊厳があると考えてしまう。それに、おそらく開設間もない今は良いとして、今後、考えられるのはペットよりお年寄りが早く死んでいく状態だろう。残されたすべてのペットに対して施設として責任を持って飼うことができるのか?私はこの施設にそれを問いたい。

 

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感想など

とりあえず、お話全体として考えると、地域連携をするにあたって職員の“自腹”部分が多そうな印象を受けました。『有志の』という言葉が何個か聞こえたけれども、要するに『無報酬のボランティアで』という意味なんだと思います。最初の話では、法人は自然人と同じ格を有するのであるからして、その地域に参加し貢献することが望ましい、もちろんそのコストも負担するべきだ、から始まっていたけれども、施設側としては、その人格の部分をすっとばして職員ボランティアを募ってコストを抑えようという方向に走っている、そんな感じかな。職員自身が地域の人間であるのなら、まぁよしとしても、地域の外から働きに来ているヒトにとっては『報酬の発生する業務』でなければたまったもんじゃないよね。

とは言え、孤立した施設というのも困りモノなので、、、さて、うちをどうするべきか。とりあえず、地域に溶け込むには、そんなの一朝一夕で成るものでもなし、何から提案して、どこまで自腹を切ろうか。悩ましい。

 

 

ミドリ MDノートダイアリー 手帳 2017 A5用にブックカバーを買ったよ!

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先日、来年用に購入した『ミドリ MDノートダイアリー 手帳 2017 』

それに純正の『紙』のカバーを発注したのですが、、、太さが合いませんでした(笑)2cm足りない。そこで、普通にブックカバーを購入するに至ったワケで、今回、購入したのはコレ。布製!ハンドメイド!らしいです。

私はどうしても合皮の質感が好きではないので、これを着けたらグッとお気に入り感が上がりました。あと5日で11月も終わり。早く12月にならないかな~♪

発明者個人の楽を追求した技術は概ね対象となるユーザーに迷惑なものになる~チ○巻きという男への人権侵害の極みについて~

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有史以来その頭脳をフル回転させて人間は『楽』と『便利』を追求し今に至る。個人のちょっとした工夫も目のつけどころによっては特許をとって大儲けできる。そんな時代。先日、久々に介護技術の講習を受けてきた。それはとても初歩的なもので先進的なものではなかったけれども、おさらいはとても大事。自分なりにやっていると確実にいつか体を壊してしまう、それが分かっていても、癖が出て来る、この癖はコンピューターで言うところのウィルスのようなもので、こういった研修はウィルスバスターのようなものだ。そんな研修の先生になっていた人がこんなコトを言っていた。

『介護の技術は日々進歩しています!技術とは少しでも楽にやろうという願いの結晶です!そして介護における究極の技術は何もしないコトです!』

うんうん、たしかに!と思いつつ、心に浮かんできたのは私の介護黒歴史。入職したばかりの頃、私の施設は今よりもうんと人が少なくて、、、例えて言うのなら野戦病院のような施設だった。常に走り回る職員、怒号、、、それはそれは福祉という優しい響きが嘘のような現場。あの頃、初心者で入った私は先輩から間違った形で『本当に何もしないコト』を教えられていた。いかにオムツの交換、トイレ介助を少なくするか?老人の調教方法、バレずに行うことのできる『身体拘束』の方法などなど。初めて入った職場がそんな野戦病院だったので、その言われているコトに何の疑いも抱かず、技術向上と聞いて変にモチベーションが上がり、老人を実験動物化して技術開発までしたものだった。ちなみに、今でも私はやろうと思えば2500ccくらいまでなら失禁させず、つまり、2日1回のオムツ交換でも問題ない(きっとすごい臭うだろうけど)だろうし、夜にこっそり身体拘束していたとしても誰もそれを知ることはないだろう。(本人からの訴えがなければね。)

さて、そんな退廃的な高度技術は封印しておき、今日は、業界でふつうに今でも利用されている黒いオムツ技術を3つ紹介してみようと思う。

 

①タブルパッド:パッドの2枚重ね。

 

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施設でオムツに使うパッドの平均的な吸収量は400cc-600ccくらい。ちなみにおむつカバー自体の吸収量は700cc前後。ただ、これはメーカーの出している数値であって、結局、装着具合や排尿スピードによってはこれ以下になってしまう。故に、夜間、20:00-翌06:00くらいまでの10時間放置しようと思えば、パッドを2枚にして上のパッドを下のパッドの吸収面にあたるように重ねて使えば500ccくらいのパッド2枚で800ccくらいは余裕で吸収してくれる。ちなみに、老人の1日の排尿は1100cc-1200ccくらい。さらにオムツカバーにも尿が回るように使えばこれだけで1300ccはいけるだろう。しかしながら、丸めた部分が階段のようになるので、不自然な赤みが浮き上がってしまうことがある。まぁ、ポリマーが吸ってくれているとは言え、長時間皮膚が尿にさらされるわけだから、皮膚の弱い老人なら全体的に赤みが出るけどね。ちなみに、この方法はその老人が排便をしたときにほぼ破綻する。排便が逃げ場を求めて穴を探し外に流れ出るか、排便後にしてしまった排尿が便を溶かして外に押し出してしまうか、、、だ。

 

②トリプルパッド:パッドの3枚重ね


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これはほんのちょっとだけ良心的な技術。夜中に放置しておくのではなく、夜中にパッドを交換する手間を省く為に、介助回数分のパッドを事前に敷いておくというものだ。定時で上から引き抜いていく。ただ、これをやる介護職は確実にお尻を拭いてあげることはない。そして、引き抜くわけだから、パッドがじめついたお尻に擦れて傷ができることもある。準備の終わった姿はオムツが異様に膨れ上がっており滑稽な姿になる。

イメージ的にはこんな感じかな。まさにこんな感じで寝かされる。

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もちろん、ぎっちぎちになるので排便には弱い。

 

③チ○巻き:男性のアレをパッドで包み込む


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 男性のアレは普通にオムツを巻いていてもそれ自体に『癖』があるのでオムツから失禁させやすい。また、排尿の勢いを保っている老人にオムツはそぐわない。吸収スピードを勢いが上回ってしまうからだ。そんな悩みを解決するべく編み出された技術がこれ。右に曲がっていようが、左に曲がっていようがお構いなし。排尿の勢いがあったとしても包んでしまえば問題なしという安全設計。実は巻かなくとも挿入穴付きの袋型も売っているくらいだから、きっとその悩みは介護者日本全国共通の悩みだったのだろう。

さてこの『チ○巻き』、実に男への人権侵害な技術であると今にしたら思う。

まず、この技術の前提はアレがある程度長いことが求められる。短いとなかなか上手に包むことができない。すぐに抜けてしまうのだ。(ユニ・チャームの調査によれば4cm以下は巻く意味がないらしい。)特に達観した女性職員に多いのだけれども、アレを思い切り引っ張って巻こうとする。とにかくぐいぐい引っ張る。『小さい!短い!』と言葉責めを浴びせながら、、、まるで女王サマ。

ひどい女王サマになると、男性のアレ自体の癖、右曲がり、左曲がりすらもぐいぐいと矯正しようとする。『巻きにくい!何でこんなに曲がってんの!』と言葉責めを忘れずに、、、。

人権侵害はさらに続く。

男にとって大事なもの。おそらくトップ5には入るであろう『チ○ポジ』。寝ていても、置きていてもアレの位置はとっても大事で、適切な位置に直さずにはいられない。寝ていて気づかないかもしれないけれども、男性諸君は寝ている間に確実に何回か無意識に直しているはず。そしてこれは女性には一生理解してもらえない行為だ。パッドに無理やり包まれた可哀想な自分のアレ、ベストポジションがあるのに理解してもらえないオムツ老人、、、力を振り絞りチンポジを整える、、、そして、、、叱られる。

 

『何で外すの!?漏れてんじゃん!?小さいクセに!』

 

発明者個人の『楽』を追求した技術は相手のコトなどまるで考えないのでその対象を苦しめることが多い。介護業界に口伝で伝えられる黒技術はそのほとんどが『効率良くサボる』ことに主眼を置いて開発されている為に老人にとっては苦行でしかない。

老人へ苦行を強いるコト、それ即ち人権侵害だ。

 

P.S.

タブレットにお絵かきのアプリを入れてみたので、それでパッドのイメージ描いてみました(笑)

 

 

余白の美学!ミドリ MDノートダイアリー 手帳 2017 を購入しました。

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もう文房具屋さんには来年のカレンダーが並んでいました。施設ではとある障害者施設のカレンダーの注文を受け付けています。今年はそちらから仕事場の机用に卓上カレンダーを購入しました。さて、そんな師走まであと10日ばかりですが、皆様はもう手帳を購入されましたでしょうか?ちなみに、私は来年からモレスキンをやめてこちらにします。モレンスキンの手帳も使い心地は良かったけれども、メモ用に買ったMDノートの方が気持ちが良かったんですよね。

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大きさはA5版の1日1ページ のものを購入しました。新書の本を持ち歩く感じですね。そして、その広さに対してこの余白。余白ってデザインにしろ何にしろ、きっと大事だと思うんです。私の場合、日々のスケジュールなんてこの見開きで足りてしまうくらいに薄い生活をしているので、大きなカレンダーとこの余白で十分。

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そして、Diary(スケジュール帳)的部分。上の【   】に日付を書いて下に書く。こっちも余白がたっぷりです。仕事に関してはそんなにびっちり分単位でスケジュールが決まっているワケではなく、また、その日にあったコトを記録していく方が私の手帳はメインなので、どうしても日付が書いてあると使わない日も生まれて来ます。そこはちょっともったいない。この手帳はそんな私にぴったり。お出かけすれば、例えば、、、映画の半券とか、美術館のチケットとか、行った先の戦利品を貼ったりしているので、こんな余白があると綺麗に整理もできます。なんて素敵。それに、毎日書くわけでないのなら、ちょっとばかり隣のページを使っても足りなくなるなんてこともないでしょうし、素敵三昧です。

この手帳(日記帳?)の始まりは12月から。早く12月が来ないかな。